エウロパに行こう
人生はもっと、有意義なはずだ。
このブログの本旨と本懐について言及するには、少々の迂回が必要である。
1 神
2017年10月、僕は自殺した。
しかし、集中治療室で目が覚めた。どうやら未遂に終わったらしい。あと1つ不運が重なっていたら僕はそのまま死んでいたと聞かされた。それから僕は、神の存在を信じるようになった。
2019年2月、鬱病が不意に遠のいた。
それまでの僕が認識できなかったほどの鮮明さで、僕は世界が美しいと感じた。その時から僕は「神はどうしてこの世界を作ったのか」という問いについて考えるようになった。宗教の勉強をしている人間に尋ねたら「神の御心は神にしか分からない」と言われた。神とは人間の認識と思考のレベルでは到底到達できないほど高次の存在であり、ページの上を歩く蟻がそこに書かれた日本語を理解できないように、僕たち人間がその理由を知ろうとすることがそもそも間違いなのかもしれない。だけど、それで諦めたくはなかった。この美しい世界を作った神の気持ちを少しでも理解できれば小説家として多少の勉強にはなるだろうし、その理由が分かれば、僕を生き返らせてくれた神にお礼を言う方法も何か浮かぶかもしれない。僕はずっと考えた。その結果、ある仮説が浮かんだ。
神はどうしてこの世界を作ったのか。
作れたから、作ったのだ。
もしも神が世界を作れなかったら、そもそも世界は存在していない。神が世界を作れたからこそ、この世界が現に存在し、複雑な進化の系統を辿って人間が生まれ、僕の父と母が恋に落ち、僕がこうして文章を書き、あなたがこうしてそれを読んでいる。全ての因果は、神の創造性に収束するのだ。この仮説に思い至ってから、僕は創造性こそがこの宇宙に存在する全ての有形無形の中で最も素晴らしいものだと信じるようになった。
ここに、僕にとって1つの幸運がある。
人間にも創造性がある。例を挙げるまでもなく歴史が証明している。
その事実は、地球上の全ての生命体の中で唯一、神のことを考えられる種が人間であるという事実と必ずしも無縁ではないと思う。神は創造性で以て世界を作り、創造性で以て人間の進化をデザインし、人間は創造性で以て神を思い描いている。だとしたら、人間が創造性を最も輝かしく活動させている時こそ、間接的に神と共感し得るのではないだろうか。
1.1 創造性の胚
そもそも創造性とは何だろう。
僕は、その人にしかできない「思いつき」のことだと考えている。
その人にしかできないこと。それはつまり他人との差分であり、故に創造性の胚は個性であると僕は考えている。真に均質な人間なんておらず、あるのは大雑把なカテゴリだけだ。だから、意識して自覚した分だけあなたは自分の個性に気がつくはずだ。かくいう僕も、友人の言葉に助けられつつ自分の個性を定義したクチである。
自分の個性を自覚したら、あとはそれを形のあるなしに関わらずアウトプットの伴う何かに結び付けるだけだ。そうしたとき、あなたは自分の「創造性」がどういう形をしているかに気付くだろう。
2 仕事
生きるためにはパンを食べなければならない。そのパンを買うお金を得るために、人は「仕事」に勤しんでいる。だが、創造性こそが一番尊いものだと信じる僕は、創造性を発揮するための時間と気力を奪う「仕事」を嫌うようになった。誰かに眠っている創造性が「仕事」という概念によって阻害されるなら、それは人類の進歩の停滞である。世界の損失である。
しかし、仕事をしなければパンが買えない。いずれ飢え死ぬ。
創造性に殉教して人生を終わらせてしまっては、元も子もない。
どうすればいいか。答えは簡単だ。
創造性でパンを買えばいいのである。
幸いなことに、僕たちには高度に発達したデジタル機器やインターネットがある。やりようはいくらでもある。ただし、「ネットを使って副業月収30万円」みたいなフレーズは完全に無視して欲しい。そこに創造性はない。コピペをするだけの乞食である。
今現在社会に存在するテクノロジーを最大限に活用できれば、あなたの創造性もきっと仕事にできる(=創造性でパンを買える)。そのために必要なキッカケ、アイデアは人それぞれだし、僕もまだまだ無知の部類だから、一元的にこうだと書くことはできない。だけど、創造性に不可能はない。なぜなら、神は創造性でこの世界を作ったからだ。アイデアの1つや2つに比べたら、この世界のなんと広いことか。きっとできる。
そして、アイデアが浮かんだら、次に必要になるのはそれを実践し、実際にパンに結び付けるノウハウである。
かく言う僕も創造性でパンを買いたいと思うようになってから、読書と言えば小説一辺倒だったのを改めて、いろんな本を読むようになった。そこで得た情報をあなたと共有したいと思う。つまり、勉強だの考察だのリサーチだの時間がかかる部分は、もし良かったら僕に任せて欲しい。僕は勉強も楽しいと感じるし、記事にする過程で何度も本を読み返したり考えたりできる。そしてあなたは、僕がいくつも並び立てた記事から今の自分に必要な部分だけを適宜抽出し、人生と世界を変える一助として欲しい。
それが、このブログの本旨である。
3 エウロパに行こう
エウロパは木星の衛星である。
僕は木星の美しい模様が大好きだ。
だからこのブログに名前をつけるとき、エウロパという名前を提案した。エウロパから見上げる木星は、文字通り宇宙で一番綺麗だと思ったからだ。
ところで、木星は半径があと30%大きかったら「第二の太陽」になっていたそうだ。
エウロパは氷に覆われた惑星で、その氷の下には海があり、もしかしたらその海に何らかの生命体がいるかもしれない、と言われている。もしも木星が第二の太陽だったら、エウロパを覆う氷は溶かされ、気候は温暖になり、原始的な生命体がより複雑な生命体へと進化し、更に時間が経てば彼らは人類のような知的生命体になっていたかもしれないと言われている。
もしも「2010年」という映画みたいに何か強大な力が働いて木星が第二の太陽になったら、僕たちはそれまで「それしかない」と思っていた地球を捨てて、エウロパで暮らせるようになるだろう。ちなみに、その「何か強大な力」は既に起きている。インターネットだ。だから、もうエウロパは生存可能なのだ。もちろん、そこに何が待っているかは分からない。もしかしたら、地球よりも過酷な生活が待っているかもしれない。だけど、逃げられないと諦めていた仕事や、どこの誰が決めたのかも分からない非効率的な慣習から抜け出し、自分のするべきこととしたいことだけで生きていく人生は、きっと楽しいと思う。
だから、僕はエウロパに行きたい。
そこで一緒に暮らす「友人」が多ければ、毎日はもっと楽しいものになるだろうし、そこに行くための宇宙船だってみんなで協力して作ることができたら、完成にかかる時間はもっと短縮できる。それがこのブログの本懐である。常識的な大人たちは僕と僕の友人がしようとしていることを馬鹿にするだろう。素人が集まって夢ばかりを見ていたところで、社会はそんなに甘くないと笑われるだろう。だけど僕は、星を見上げる人間だけが、そこにいく宇宙船を作れると信じている。