MacBookの魔力【メモの魔力//前田裕二】(3/3)
Contents
前回までのあらすじ
「メモの魔力」で語られる「ファクト→抽象化→転用」というフレームワーク。その「抽象化」を、他ならぬ「メモの魔力」そのものにあてはめてみた結果、本書は「作り方から創る」方法論を提案するハウツー本であると書いた。
そして、「作り方から創る」という方法論を「転用」した結果として、MacBookがいかに僕のメモライフを効率化したかを書くことに相成った次第である。
早速書いていこうと思うが、本記事は99%の「MacBookへの気持ち」で構成されているため、MacBookに興味がない人は最後の「まとめ」まで読み飛ばして頂いても大丈夫です。
MacBookの魔力
正確に言うと、僕が使っているのは13インチのMacBook Proである。
2か月前に買ったばかりで、それまでiPhoneやiPadは使ってきたきたが、実を言うと初Mac。しかし、2ヶ月という時間は一人の男をMacに夢中にさせるのには十分すぎる長さであった。
仰々しく「MacBookの魔力」だなんて見出しをつけたが、MacBookの魅力を網羅的に列挙していると多分時間が足りなくなるので、今回は「メモ」あるいは「創作」という活動においてMacBookが何をどう劇的に変えたかに絞って語っていきたいと思う。
①デザインされているのは、見た目だけではない。
美しい。
外観について、それより他に語るべき言葉を僕は持ち合わせていない。空を飛ぶ鳥がなぜ美しいか。完全な球体がなぜ美しいか。それについてあれこれ言葉を並び立てるのは野暮である。
もちろん、ただデザインが美しいというだけではない。
手を触れて一瞬で分かる「手触りの良さ」もさることながら、重心が安定しているのである。恐らく、Appleは重心までデザインしているに違いない。だから、机に置いた状態でパカーっとオープンするとき、何のガタつきもフラつきもない。たった一本の指を添えるだけでスムーズに開く。あるいはクッションを背に横になっているときでも、膝をたてればそこにMacBookを置くことができる。その状態でタイピングするとき、僕は「体勢を変えたらパソコンがズレるかも」なんて心配を一抹も感じない。安定しているから、余計なことを考えずに発想や執筆に専念することができる。「パソコンを使った作業は机に向かって気合いをいれてするもの」という既製品を、MacBookは鮮やかに否定してくれた。
また「メモの魔力」でも、前田裕二が「ちょっといい手帳を選ぶと、メモをとるって作業が少しだけ楽しみになる」という旨のことを言っていたが、それはパソコンについてもあてはまる。一介のガジェットという範疇を超えて好きになれるMacBookだからこそ、どんどん作業したくなるのである。(そして気がつくと3時間くらい経っていて、腰が痛くなるのである)
②バタフライキーボード、蝶のように指が舞う。
僕はそれまで、キーストロークが深めの茶軸メカニカルキーボードを使っていた。だから、ストロークが浅いバタフライキーボードが指に馴染むかどうか、それが少しだけ不安だった。
しかし、バタフライキーボードでタイピングを始めてみて、数秒でそれが杞憂であることを思い知った。とにかく気持ちいい。←これは好みの問題であるから、バタフライキーボードを「合わない」と感じる方もいるだろう。それについて否定はしない。感性も感覚も千差万別で然るべきである。
だが「タイピング」という行為をシンプルに考えてみると、本来そこに最低限必要となるものは、水平方向の動きだけである。垂直方向の動き(指でキーを押し込む、という動作)は、本来必要不可欠な動きではないのだ。その点、バタフライキーボードは垂直方向というノイズ(キーストローク深めが好きな方、ごめんなさい)を限りなく軽減しているため、ひたすらタイピングに、考え事に集中できる。
無論、垂直方向の動きがゼロではないところも重要で、もしMacBookのキーボードがiPadみたいなタッチ式だったら、僕はタイプミスを頻発していたであろう。指触りとキーを打ったときの最低限のフィードバックだけ。それ以外は、全部水平方向。惚れ惚れする。タイピングをしているときの「とくとくとくとくとく」というような音も、大好きである。録音してベッドで流しておけば、安眠間違いなしである。夢の中でもMacBookをいじれるかもしれない。
③iCloud、もはや魔法。
実を言うと、MacBook購入の一番の決め手はこれだった。
それまでの僕は、iPhoneでメモを書き散らかし、母艦(Windows)のキーボードを使いながらそれらを整理しながら加筆修正するというやり方をしていたのだが、Windowsのブラウザから開くiCloudの使い勝手はお世辞にも良いとは言えなかった。まず、メモを加筆修正するにあたってWindowsのメモ帳にコピペする必要があるのだが、そのままコピペすると改行が変なことになる。だから、iCloudでメールを開き、本文のところにコピペした後、Windowsのメモ帳に移動する。これで初めて、キーボードによる加筆修正ができるのである。そういう作業を、散らばったメモ一つ一つに行う手間が想像できるだろうか。
しかし、MacBookならリアルタイムでiPhoneとiPadと同期している。例えば家の廊下を歩いているときにふと何らかのアイデアが浮かんだとしよう。とりあえずポケットからiPhoneを取り出して、アイデアの断片をメモしておく。その後、部屋に戻ってそのアイデアを膨らませるためにMacBookを開く。1秒で作業が続行できる。
その逆もまた然り。30分後に家を出ないといけない。その30分で、いろいろ文章を書く。その続きを、目的地に向かう道中にiPhoneで書くことができるのである。
初めてMacを触った僕からしたら、これはもはや魔法だった。
全ての端末が、魔法によってリアルタイムに繋がっているのである。
そして、それらの一連の作業を自宅でも、喫茶店でも、友人の家でも、歩きながらでも、公園のベンチでも行えるのである。これを魔法と言わずして、何を魔法と呼ぶ。まさに魔力である。
MacBookは靴
先日、友人のたまごせんし氏とコンピューターについて話していたとき、何度か「コンピューターは靴」というフレーズが出た。その通り、MacBookは僕にとって「最高の靴」だった。大好きなデザインと、最高の履き心地。その靴さえあればどこへでも歩いて行ける気がする。いつまでも歩いていられる気がする。なんならその靴を履くためだけに外出したくなる。人とガジェットの理想的な関係だと僕は勝手に思っている。
この「コンピューターは靴」というフレーズには元ネタがある。
それは、他ならぬスティーブ・ジョブズが残した「Wheels for mind」という言葉である。
人間の二本足という形状は、移動という点において最も効率的とは言えない。チーターにも負ける。馬にも負ける。犬にも負ける。だけど車輪があればチーターよりも馬よりも犬よりも速く、そしてより遠くまで移動できる。車輪があれば、人間は最も効率的に移動できる生き物になれるのだ。で、ジョブズが創ろうとしたのは「mindにとっての車輪」、つまり心の活動や知的生産を最も効率的にするためのツールなのだ、と僕は思ってる。事実、MacBookはあらゆる知的生産を効率化するように設計されているように感じた。
例えば、アプリをフルスクリーンにすると余計な情報が全て消える。時計すら消せる。だから、今自分がやろうとしていることだけに集中できる。
また、Windowsではwordもメモ帳も音楽もメールもブラウザも全て水平に並んでいた。メモ帳に書き散らかしたアイデアをwordに書き写しているとき、ふと気分を替えたくなって音楽再生ソフトを開くとき、僕はそれまで当たり前のようにマウスを動かして、タスクバーから音楽再生ソフトを開いていた。
だが、MacBookなら三本指のスワイプ一回でiTunesへ移れる。その時の気分にぴったりくる曲を選んだら、もう一回スワイプすればすぐに作業を再開できる。Windowsにも仮想デスクトップはあるが、スワイプという単純な動作だけで直感的に作業場を行き来する感覚は控えめに言って最高だ。些細な違いなのかもしれないが、MacBookによって省略できた「手間」は、全て創作や執筆に回すことができる。このようにして、MacBookが僕のメモライフを効率化したのである。それが、僕が味わった「作り方から創る」だったのだ。
ようやく本書に関連するようなことが言えたから、まとめに入ろう。
まとめ
みんな、MacBookは最高だよ!
じゃなかった。「メモ」とは「頭の中にしかなかった漠然としたものを具体化すること」であり、本書は「作り方から創ることの重要性を示唆するハウツー本」である。
頭の中にあるものは、どんなに些細な覚え書きから、どんなに壮大な憧れまで全部文字にする。「みんながそうしているから」という「常識」や「既製品」にとらわれず、それぞれがそれぞれにとってベストのやり方を探してみる。
それが、まとめである。