【アイデアのつくり方//ジェームス・W・ヤング】(1/2)5つのプロセス
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アイデアは天から『おりて』くるもの?
アイデアってのは『おりて』くるものだ。
そう思っている人間は結構多いと思う。
僕も、学生の頃は似たようなことを考えていた。セレンディピティという言葉を都合よく解釈し、とりあえず授業をサボって喫茶店に居座り、真っ白なノートを前に何時間もうんうんうなりながらコーヒーを飲んでいた。たまに良いシーンが書けたりすると「今日はツイてるぞ」と上機嫌になり、何も浮かばなかったら「時間無駄にした、、、学校行ってりゃ良かった、、、」と凹みながらヤケ酒だ。
しかし、である。
昔の船乗りたちによると、海図の上では深い青海原しかないところに突如として美しい珊瑚の環礁が出現することになっている。あたりには不思議な魔法の気がただよっている。
アイデアもこれと同じだと私は考えてきた。
(中略)
しかし、南海の環礁は実は無数の目に見えない珊瑚虫の海中におけるしわざであるということを科学者たちは知っている。
そこで私は自問してみた。アイデアだってこれと同じことではないだろうか。
そういう自問から始まった本書は「アイデアは天才に許された特権」「脳のどこか奥深いところからやってくる神秘的な啓示」という思い込みを否定する。そして、アメリカの広告業界のトップを走り続けたジェームス・W・ヤングの経験に則った、極めて実地的な「アイデアの作り方」を教えてくれる。
細かいことは(2/2)で語ることにして、早速本書に書かれた「アイデアのつくり方」を紹介していこうと思う。
5つのプロセス
これから5つのプロセスを紹介していくが、筆者が本書にて明言した「本当にアイデアを作成したいのなら、この五つのどの段階にもそれに先行する段階が完了するまでは入っていけない」ということを留意した上で読み進めて欲しい。
第一段階:資料の収集
詳しくは(2/2)で語る予定だが、筆者によると「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ」であるらしい。だとしたら「手持ち既存の要素」が少ない状態で、良質な「新しい組み合わせ」など浮かぶはずもない。
という訳で、第一段階ではひたすら資料を集める。
ここで、二種類の「資料」について言及している。
すなわち、
①特殊資料
②一般的資料
この2つである。
●特殊資料とは?
筆者は広告を例に「製品と、それを諸君が売りたいと想定する人々についての資料である」と説明している。要は、今必要としている「アイデア」が属している分野に関する資料が、特殊資料である。もしもあなたがヴィクトリア朝を舞台にした小説を書きたいと思っている人間だったら、ここでいう特殊資料は当時の生活を記録した文献などがそれに当たる。
●一般資料とは?
特殊資料が当面の間集めるべき資料であるのに対し、こちらは人生という長いタイムスパンで集めていくものだと書かれている。文字通り世界の全てが、一般資料にあたる。もしもあなたが近未来を舞台にしたSF小説を書きたいと思っている人間だとしても、例えば興味の赴くままにあらゆる知識を資料として集めるべきなのだ。
なぜか?
それは、有用なアイデアとは特殊知識と一般的知識の「新しい組み合わせ」だからだ。同一の分野に属する「特殊資料」同士の組み合わせだと、それは「専門的な知識」である。全く分野の違う「一般的資料」同士の組み合わせだと、少しばかり突飛すぎる。「専門的な知識」も「突飛すぎるアイデア」もすごく大事だし、積極的にストックしていくべきだと思うが、今現在直近で「あなたが必要としているアイデア」を出すには、やはり特殊資料と一般的資料の組み合わせが必要なのだ。
さて、
これを読んだあなたが図書館に行くのか、手帳を携えて街へ繰り出すのか、あるいは思いついた単語を片っ端からグーグル検索をするのかは分からないが、1つの方法を提案させていただきたい。それはご存じ「ブレインストーミング」である。思いついたワードをどんどん書き出していく会議方式であるが、これを一人で(無論複数人でやっても構わないが)やるのである。それはつまり、頭の中に眠っている無数の「記憶」を「一般的資料」として抽出し再発見する方法である、と僕は考えている。
第二段階:咀嚼
第一段階で集めた資料に対して改めて解釈をし直したり、理解を深めたり、想像を膨らませたりする。あるいは、複数の資料の間に存在する「関係」を模索したり、隠された「意味」を検討したりする。そういった行為を、筆者は「咀嚼」と呼んでいる。
そして、咀嚼をひたすら繰り返していくうちに、次のようなことが起こるらしい。
まずちょっとした、仮の、あるいは部分的なアイデアが諸君を訪れてくる。それらを紙に記入しておくことである。(中略)これはこれから生まれてくる本当のアイデアの前兆なのであり、それらを言葉に書きあらわしておくことによってアイデア作成過程が前進する。
しかしこの段階は、あくまで全行程の5分の2。ひたすら咀嚼を続けているのにそれっぽいひらめきは何も生まれず、「仮の、あるいは部分的なアイデア」すら浮かばず、頭の中がとにかくごっちゃごちゃになっていても、全然構わないそうである。ごっちゃごちゃになって、何がなんだか分からなくなるくらい考えた後に、初めて次の段階に移れるのだ。
だから、とりあえず、第一段階で集めた「資料」に手垢がつくまであれこれ考えてみよう。
第三段階:放置
ごっちゃごちゃになった頭の中を、文字通り放置する。第三段階でするべきこととは、絡まった思考の結び目を意識の分野から無意識の分野に明け渡すことである。
フロイトによると人間の意識は氷山の一角で、その下にものすごく大きな無意識が眠っているそうだが、明け渡した後は、この無意識が「何か」に対して「何かしら」をするのを待つのである。(それについて具体的に説明することができないが、それが無意識というものだと思ってる。むしろ、無意識が具体的に説明できる意識領域だったら、わざわざ明け渡す必要もなかったのかもしれない)
では、無意識に働いてもらっている(=意識が何もしていない)間、僕たちは何をするべきか。
第一の段階で諸君は食料を集めた。第二の段階ではそれを十分咀嚼した。いまや消化過程がはじまったわけである。そのままにしておくこと。ただし胃液の分泌を刺激することである。
胃液の分泌。筆者はそれを「自分の想像力や感情を刺激するものに諸君の心を移すこと」と言っている。こんがらがった結び目は一旦忘れて、好きな小説を読んだり、デートをしたり、おいしいものを食べたり、音楽を聴いたり、散歩したり、ゲームをしたりすればよいのである。
第四段階:常に意識。そして「ユリイカ!」
この第四段階が、アイデアの実際上の誕生である。
ところで、あなたは「三上」という言葉を知っているだろうか。
三上とは文章を練るのに一番良い場所のことで、すなわち、
①「布団でゴロゴロしているとき(枕の上)」
②「電車やバスに乗ってぼんやりしているとき(馬の上)」
③「トイレをしているとき(厠の上)」
のことである。
文章に限らず言うなら、恐らく多くの人が経験したことがあると思う。「よっしゃ!」と意気込んで机に向かっている時に限ってなかなか良い考えが浮かばない。が、ぼんやり公共交通機関に揺られているときや、目的地もなく散歩しているときや、息抜きのつもりでタバコを吸っている時にふと、良い考えが浮かんだりする。
本書によると、アイデアにおいても同様のことが言えるらしい。
つまり、無意識に預けられた思考の結び目は、あなたが予想だにしなかったタイミングで、結び目が解かれた状態で意識の分野に還ってくるのである。
だから、待てば良い。
人事を尽くして天命を待つ。
果報は寝て待て。
待ち続けるのだ。
しかし、ただ待つだけではいけない。無意識に預けたままずっと放置していると、そもそも忘れてしまうかもしれない。だから、然るべき放置によって無意識が結び目を熟成するのを待つ第三段階を経た後にするべきことは「常に意識していること」である。結び目の部分を付箋に書いて机の一番目立つ場所に貼り付けておくとか、あるいはスマホのメモに書き残しておいて、隙間の時間に常に眺めているとかが良いだろう。そうすれば、忘れることなく意識することができる。
そうやって常に意識していると、先述した通り「あなたが予想だにしなかったタイミング」で、ふっとアイデアが浮かぶのである。
結局待ってるだけじゃないか、無意識から『おりて』くるのを!
ごもっともである。
しかし、資料の収集も咀嚼も意図的な放置もせず、ひたすら「ユリイカ!」を待って、学生時代の僕のように真っ白なノートの前でインスピレーションを待つのは時間の無駄、という訳である。
ジェームス・W・ヤングが言わんとしていることは「ユリイカ!」を効率的且つ具体的に呼び寄せるための方法論なのである、と僕は思っている。
第五段階:調整
筆者は「現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階」と書いている。
第四段階の「ユリイカ!」で生まれてくるアイデアの形を、僕たちはあらかじめ決めておくことができない。不意に思い浮かんだアイデアを、あなたが直面している課題や問題に適用するために、あらゆる調整を加えるのがこの第五段階である。この第五段階をしっかり完了させて、あなたは初めて「アイデアをつくった」ことになる。
以上で、アイデアを作るための5つのプロセスの紹介は終わりである。
アイデアと調整&創造性
さて、「5つのプロセス」の紹介からは若干逸れるが、是非とも追記しておきたいことがある。
この「調整」こそが、僕は「創造性」を実現させるためのキーの1つだと思っている。あなたがこの5つのプロセスを意図的に遂行することで、求めていたアイデアを実際に作れたとしたら、僕にとってもこの上なく喜ばしいことであるが、
少なくとも第四段階までは、規模や具体性を無視するなら、みんなが結構無意識的に行っていることなのである。
第一段階(資料の収集)は、散歩の最中に見かけた何気ない光景でも構わない。
第二段階(咀嚼)は、後日ふとその光景を思い出すことでも構わない。
それからしばらくそのことを忘れているのが、第三段階(放置)だ。
そして、ふと、その光景にこめられた「何か」を、何の脈絡もなく思いつくのが第四段階(ユリイカ!)なのである。
その「何か」が何であるかは、それこそ千差万別であるが、その「何か」こそがあなたの「個性」である、と僕は思っている。だが、ほとんどの人はこの個性的だが些細な「ユリイカ、、、」を「なんでそんなこと急に思い浮かんだんだろう」と感じ、温める事も育てる事もせずに捨ててしまう。
それは、もったいない。世界の損失だ。
なぜなら、「創造性」のある一部分は、この「些細な個性」を第五段階で以てしっかりと形にすることから始まるからだ。少なくとも僕はそう信じている。
もしもあなたが「目も覚めるようなアイデアを作て、直近で直面している課題、問題を解決したい」と思っている場合は、ジェームス・W・ヤングが言う通り、上に紹介した5つのプロセスを意識的に通過してほしい。
もしもあなたが「個性を、創造性をもっと活用したい」と思っている場合は、365日無意識に同時進行している4つのプロセスを無下にせず、どれだけ些細な「ユリイカ」もしっかり「調整」して形にして欲しい。その結果として、「何か」が「何かの形」になった時は、それを僕にも教えてくれたら、僕は嬉しい。