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【洞察力//宮本慎也】(2/4)一流

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2月を迎えて井戸の底。普段は小説を書いてます。趣味は映画鑑賞とボードゲームと飲酒です。最近、YouTubeを始めました。

本書の構成

第1章 一流  一流と二流を分けるもの
第2章 プロ  プロフェッショナルの仕事とは
第3章 変化  変化を続けられた者だけが生き残る
第4章 成長  成長する人、しない人の小さな違い
第5章 役割  自分の役割を見つけ、果たす
第6章 指導  結果を出す指導者の言動
第7章 組織  勝つ組織の必然性

 どうやって本書を紹介しようかと考えたが、せっかく「洞察」というキーワードがあることだし、各章を読み返しながら僕なりに洞察し、考察し、そこから抽出できたもの(≒本質)を紹介する形で書いていこうと思う。

 ここで一点。

 第5~7章に関しては「組織の中で生きるビジネスマンがいかにして洞察し、活躍するか」という視点から語られたノウハウだが、僕は組織の中で生きたいとは思っていないので割愛させていただく。
ただ、宮本慎也の野球人生に裏打ちされたそれぞれの「洞察」は、読み物としてもすごく面白い。これを読んでいるあなたがいわゆる「ビジネス」においてもっともっと活躍したいと考えている方なら、あるいは単純に野球が好きという方なら、きっと楽しめると思う。

 早速、紹介を始めよう。

一流

一流と呼ばれて真っ先に浮かんだのはイチロー

 という訳で、本章のテーマは「一流」。
 読み返してみて、二つの本質と思しきものが見えてきた。

①バランス感覚

仕事をしていく上で臆病であることは必ずしもマイナスではない。
繊細であり続けることが大胆さにつながる。
一流と呼ばれる選手には繊細さと大胆さのバランスの取り方がうまい選手が多い。

 繊細であり続けることがなぜ大胆に繋がるのか。
 恐らく「繊細」なプレイに熟達すればこそ、「ここは繊細じゃなくても大丈夫」という勘所が分かり、そういう局面で「大胆になれる」ということだろう。

 なぜ一流と呼ばれる選手には「繊細」と「大胆」という一見矛盾するこの二つのバランスの取り方がうまいのか。
 僕は一流の選手ではないから、あくまで推察に過ぎないが、その答えは恐らく「二刀流」というキーワードで説明できる。
 繊細には繊細のメリットがあり、デメリットがある。大胆には大胆のメリットがあり、同様にデメリットがある。この二つを組み合わせることでメリットの掛け算を行い、強みを最大化する。それと同時に、それぞれのデメリットを相補的にカバーすることで相殺する。
 そういうことだと思う。

アナキンの二刀流 かっこよかった

自分に適用してみる

 ここでいう「繊細」と「大胆」という属性、あるいはその二つを生み出すきっかけになる「臆病」という属性は、あなたが直面している状況に応じて適宜言い換えることが可能だと思う。

 例えば、
 もしもあなたが「短気」という、パッと見て不利っぽい属性があったとしよう。その「短気」とは、突き詰めれば「エネルギッシュ」ということである。些細なことで感情が爆発してしまうなら、ちょっとしたキッカケ一つで「だーーーッ!」と暴れ回れる人間なのだ。で、ちょっとしたキッカケで感情が爆発して活動しまくる、という経験を繰り返していくうちに、だんだん「どんなキッカケがあれば自分が正しい感情の爆発ができるか」ということが分かってくるかもしれない。エネルギッシュと「計算高さ」という要素を二刀流である。そして、どちらかに偏りすぎるでもなく、かといってその中間地点で燻るでもなく、適宜使い分けたり傾いたりできる「バランス感覚」こそが大事だと筆者は言っているように思える。

 そういう二刀流を使いこなせる人間に、一流が多いのかも知れない。

スティーブ・ジョブズ
深い意味はない

割り切る

 バランス感覚、という視点から、もう一つだけ引用しよう。(個人的に面白いなと思ったので)

「この場面でストレートが来たら、打てなくてもしょうがない。その代わり、スライダーが来たら絶対にヒットを打ってやろう」
打席の中でこれぐらい思い切った割り切りができるかどうかが、勝負強さの原点になっていく。
(中略)
好機に成果を残す大前提として、技術は必須である。
その上で持っている技術を重圧がかかる場面でも発揮するには、勇気と経験による割り切りが必要になる。

 何の根拠もない「思い切った割り切り」はただの無謀である。ただの運頼みで仮に成功したとして、それが何度も続く(=長年戦い続け、そして勝ち続ける)という保証はどこにもない。「思い切った割り切り」の根拠とするべきは「勇気と経験」なのだ。(裏を返せば、それができる程度には経験を積み、勇気を磨く必要がある)そして、どこまでが「今までの経験に基づいた予測」で挑むべきなのか。どこからが「勇気と経験による割り切り」で挑むべきなのか。そのバランス感覚もまた、勝ち続けるには必要なようである。

 ちなみにこの後、「どんな好打者でも7割は失敗する。だが、失敗を恐れて振ったバットが、好結果をもたらすことはあり得ない。」という一文が待っている。実際にそれを観察し、経験し、考察してきた筆者だからこその重みを、僕は感じずにはいられない。かっこいい。

②ひたむきな精神論

「仕事はオンとオフの切り替えが大事」
「オフは仕事を忘れた方が生産性が上がる」
こんな言葉を聞くと、本当にそうなのかな、と首をかしげてしまう。
(中略)
練習や試合中はもちろんだが、試合後の食事の席でも野球談義が尽きないことは多い。オフに他のことをしていても、どこか野球に生かせることはないかと仕事に結び付けてしまう。

 仕事中でも散歩中でも食事中でもそのことを考えてしまうような人間だけが、その分野の「一流」になる素質を秘めている、と言えるのではないだろうか。無論、一流という世界がそんなに易しいなものだとは思えないが、少なくとも好きなことで生きていく(腕一本で食べていく)には、そういった意識、ひたむきさが必要なのだろう。

 で、その「ひたむき」さが、なぜ「精神論」に結びつくのか。
 それは「一事が万事」だからである。

「上手」だけでは一流ではない
(中略)
山田に限らず、チームの中心選手の言動には常に自覚が求められる。球界を代表する選手たちが、試合中にガムを噛んだり、唾を吐いたりするようでは寂しい。
(中略)
注意して見なければ気付かないような細かいしぐさにこそ、人の本質が表れる。本質は細部に宿るのは、プロ野球でも同じだ。

 本文では「つまり一流と呼ばれる選手には、全ての野球少年の模範となるような意識が欲しい」というようなことを書いているが、僕はそれを「一事が万事」という言葉を使って拡大解釈した。

 一事が万事、という言葉を初めて知ったのは池波正太郎のエッセイだが、「一つのことを見れば、他のすべてのことが推測できるということ。 また、一つの小さなことに見られる傾向が、他のすべてのことに現れるということ。」という意味である。つまり、些細なことから全体が分かる。些細なことにこそ、全体が現れる。そういうニュアンスだ。

 確かに、試合中に唾を吐かなかったからといって、打率が上がる訳ではない。
 ガムを噛まなかったところで、投げる球が速くなる訳ではない。
 しかし、何かを成し遂げようとして人間がひたむきに努力するときとき、その「ひたむき」という姿勢は、生活の全てを内包する概念であるべきだと僕は思う。なぜなら、「生活のここからここまではひたむきだけど、この部分は関係なさそうだし、適当でいいや」そういう生き方は、一事が万事の理屈で言うなら、いずれ適当の部分がひたむきの部分に何らかの影響を与えるからだ。

「ひたむき」には「コダワリ」

 では、どうすればいいか。節制に努めてストイックな修行僧のような生活を送れば良いのか。僕は別に、そういう生き方を提案したい訳ではない。楽しいことを我慢したり、したくもないことで自分を律したりするのは、ストレスが貯まる。ストレスを貯めすぎて体調を崩すのは一番非効率的だ。とすると、ストレスが貯まらない範囲で「ひたむき」であるのが最も望ましい。意識が「楽しい」と思える範囲でストイックになるべきだと思う。
 その「楽しい」と「ストイック」が妥結する場所はどこだろう。しばらく考えて、僕は「コダワリ」という単語に行き着いた。誰しも、ここだけは譲れない、というコダワリを持っていると思う。どんなに細かいことでも構わない。それが、直接的には本業と関係なくてもこの際構わない。そういった細かいコダワリを積極的に肯定し、他人に迎合しないところに、意味があるように思われる。なぜなら、一事(些細なコダワリ)が万事(個性)だからだ。「ひたむき」の具体的な方法がわからない方はまず、自分のコダワリを全て列挙してみてはいかがだろう。その作業をしているうちに、やがて自分だけの「ひたむき」の姿が見えてくるはずだ。

ちなみに僕はリップクリームを「鞄に入れる用」「机に置く用」「枕元に置く用」で三本持っている。

 唇の乾燥すら意識的に予防して執筆している、と言えなくもない。
 つまり、あなただけの「コダワリ」の集合体が、あなただけの「ひたむき」の在り方なのだと、僕は思う。

精神論の重要性

 上に書いた考え方は「ひたむきな精神さえあれば、なんとかなる」というスタンスにも解釈できるから、僕は敢えて精神論という単語を使った。ただ1つ言っておきたいのだが、僕は妄信的な精神論や根拠のない根性論が大嫌いだ。人間は常に合理的であるべきだと思う。楽しい、という感情の理想的な形は「機能美」に類するものだと今も思っている。無用なストレスや必然性のない苦痛を甘受し自己肯定のロジックで自己完結する姿は、少なくとも機能美からは最も遠い。非合理的だ。向上心に欠けている。

 しかし、野球界の一流であると思しき筆者が、少なくとも「妄信的な精神論者」でないことは、本書を読んでいると分かってくる。筆者は常にその時点でのベストを冷静に洞察し続ける野球選手だった。根性さえあれば課題を解決できる、なんて毛頭ほども思っていない。そんな筆者が精神論的なことを書いている(と僕には感じられた)。もしかしたら、ある種の狂気的な思い入れ(コダワリ)とも言えるそういった非合理性がなければ入ることができないのが、一流の世界なのかもしれない。

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