【洞察力//宮本慎也】(3/4)プロフェッショナルは粛々
プロ
なんとなく「ある分野でお金が貰えたらプロ」「ある分野で優れた能力を持っていたらプロ」みたいなニュアンスを感じるが、僕は「プロ」という言葉についてそれとはちょっとだけ違う解釈をしている。
求められた結果を、求められた形で出せる人間が、僕はプロだと思っている。
例えば、ものすごい名作を書く才能を持った作家がいるとする。しかし、それが一か月に一作なのか、一年に一作なのか、一〇年に一作なのかは分からない。決められた期限までに完成するかしないかすら分からない人に、少なくとも小説の仕事はこないだろう。彼は優れたアーティストであるが、プロではないのだ。
だが、この遅筆な天才が高等遊民でもない限り、食い扶持をつなぐためには日銭を稼がないといけない。当面は創作とアルバイトをいかに効率的に両立させるかが課題になる訳だが、そこで意識してもらいたいのが、「プロ」という視点である。名作の着想を待つ傍らで、日銭を稼ぐために手っ取り早い小作を作ってもいいだろう。クオリティを妥協した小作を出すのはアーティストとしてのプライドが許さない、という意見ももっともだが、そういうプライドに固執するあまりアルバイトに時間を割くほうが非生産的だと思う。
プロとは、そういう私情や事情を排して「求められた結果を求められた形」で出せる人間のことだ。で、依頼主の要求に応じる能力があれば、そこに利益が発生する土壌が育ちやすい。「お金を稼ぐ」とは、あくまでプロという属性に付随する能力だと思っている。
では、宮本慎也が語るプロとは、どんなものなのか。
読み返してみると、ある程度関連はしていた。
という訳で、早速紹介しよう。
①粛々とこなす
粛々とこなす。
事務的にこなす。
冷静に、するべきことをする。
結果を出すために、感情を排する。
何かしら情熱的な結論を期待していたのだが、結局はそういうそっけない字面に収束した。
何かを求められ、それが仕事である以上、そこには期限が設定される。その期限の中で求められている成果物を完成させるためには「ここはもう少し拘りたいのに」とか「今日は遊びたい」とか、そういう私情を排し、ひたすら粛々とこなしていくしかないらしい。
しかし、それだけで終わってしまうなら、あまりにそっけなさすぎる。という訳で、宮本慎也が本書にて示したいくつかの方法論を紹介する形で、いかにして「粛々とこなす」のかを考えていきたい。
タスクの垂直展開
大きな目標と小さな目標を使い分ける
(中略)
この瞬間、「まずは一軍に残る」という目の前の目標ができた。即戦力として評価されて入団した以上、一軍に残るのは最低限のことだと考えていたからだ。
一軍に残るには、基礎体力を上げるためのウェートトレーニングの練習量を増やさなければならない、スイングスピードを上げるために、バットを振る量を増やさなければならない、試合に出たときには、状況判断のミスはできない——。
一軍に残るという目標を設定したことで、次々に課題が見つかった。
「目の前の目標」と書かれているから若干ややこしいかもしれないが、このときの宮本慎也にとって「一軍に残る」が大きな目標だったと言える。大きな目標が決まったからこそ、それを実現するための小さな目標が明確になったのだ。粛々と何かをこなしていくためには、この「大きな目標と小さな目標の使い分け」が大事だと思われる。この使い分けを、僕は「タスクの垂直展開」と呼んでいる。
僕の周囲にいる人間を観察してみると、彼らはタスクを垂直ではなく水平に展開していることが多い。iPhoneのリマインダーにするべきことを書き連ねて、できることからこなしていく、というやり方である。無論、そのやり方は日常の雑務をこなす上では効率的だろう。だが、日常の雑務以上に大きな何かを成し遂げたいと思っているとき、リマインダーに連なるタスクは規模に比例して増えていく。それらを全部水平に並べているだけだと、重要性の低い課題に埋没して、本当に取り組まなければいけない課題がおざなりにする事態になりかねない。
だから、まずは大きな目標を設定する。重要だと思う目標、これだけは譲れないという目標を設定する。それが、一番上だ。一番上が複数あっても構わない。大事なのは、その「大きな目標」を達成するために直近で何が必要か、という「小さな目標」を下に書くこと。その「小さな目標」を達成するために直近で必要な「より小さな目標」を更に書く。そうやってどんどん書いていくと、最終的に一番下にくるのは、今すぐ、この場でできる行動に行き着く。
これが、タスクの垂直展開である。
今すぐ、この場でできる行動が分かったら、あとは冷静にするべきことをするだけだ。一番小さな目標が達成できたら、次、次、次と粛々とタスクをこなしていく。こうして、プロは大きな目標を具体的なプロセスで実現するのだろう。
数字を意識する
一方で「数字を意識するな」という言葉を目にすることもあるが、これには違和感を覚える。どんな世界でも、仕事の結果としての数字はシビアに意識した方が良いと思うからだ。
(中略)
これぐらいの数字を残したいという具体的な目標を立てるから、目標に到るまでのプロセスを考えて準備をする。成果が出なければ、アプローチの仕方を変えようと考えることもできる。
数字を意識せずに逃げているようでは、成果を残したとしても運に左右された一時的なものであったりして、プロセスを欠く結果に終わってしまう。
ここで言う数字とは、客観的で具体性のある指標のことである。
なんとなく頑張った、なんとなく賑わった。これでは、「あの要素がうまくいったから、これだけ集客が伸びたのだ」というフィードバックが望めない。「意図的にうまくいったもの」なのか「運に左右された一時的なもの」なのかの区別ができない。それでは、次回に到る改善策なども思い浮かばない。停滞するだけだ。
だから、売り上げや集客人数に限らず、全てを数字として可視化し、シビアに意識する。自分のどの部分が有用だったのかを明確にして、次の仕事に活かす。すると、少しずつ仕事の部分が改善されていく。より効率的に「求められるもの」に応えられる人間になっていく。プロとしての質が上がっていく。そのためには、数字を意識するべきなのである。
また、逆に「あの要素があったから、効率が落ちたのだ」という不要物をあぶり出すことができる。例えば、矢鱈滅多飲み会に誘ってくる友人がいたとする。そこにあるのは「人付き合い」という「ふわっとした感覚」であり、そういうふわっとしたものは大抵数字に結びつかない。数字をシビアに意識するなら、そういう友人は自分から遠ざけるべきである。彼らがあなたを食わせてくれる訳ではない。
さて、求められた結果とは概ね成果物のクオリティのことである。求められた形とは概ね締め切りのことである。あなたがプロだったら、常に「要求されるクオリティを満たせなかったらどうしよう」「締め切りに間に合わなかったらどうしよう」というプレッシャーを感じるようになるはずだ。そう言ったプレッシャーを、一流でありプロであった宮本慎也はどのように対処していたのだろうか。
頼れるものは、練習量のみ
プレッシャーとは何か。突き詰めて考えれば、「何かをしなければいけない」と考えたときに生まれるものだと思っている。
完全な結果主義であるプロ野球界において、ここぞの場面で打席に立つバッターのプレッシャーたるや、すさまじいものだろう。僕は想像しただけで怖くなってしまう。が、プロ野球界に限らずプロの仕事とは常にそのような緊張感と隣り合わせだと思う。「締め切りに間に合うだろうか」「要求されるクオリティを満たせるだろうか」そういった不安は常につきまとう。
そういったプレッシャーに対して、どうすればいいのか。
本書から引用しよう。
重圧を感じる中で良いパフォーマンスを出すには、やはり練習量が重要だとも書かれていた。極限状態の中では練習量が心のよりどころになるのは、どんな世界でも同じのようだ。
「やるべきことはやったのだから、結果はコントロールしようがない」
これぐらいの割り切りができていたのだろう。
仕事をする上で必ず付いて回るものである以上、プレッシャーから逃げることはできない。それでは、プレッシャーとどう向き合っていくのが正しいのか。
その答えとしていつも考えていたのが、自分ができる準備を整理することだった。
要は「俺ならできる」と、自分を信じることが大事だと言うことだろう。
プロとして本番に臨む前の準備の段階で、「俺ならできる」と信じられるまで、「これでうまくいかなかったら、それはもうどうしようもない」と肩の力が抜けるようになるまで、ひたすら練習あるのみ、ということだ。
プレッシャーの中でも常にベストなパフォーマンスを発揮し続けるプロになるには、自分を信じられるようになるまで練習するしかないらしい。