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【Creative Selection, Apple 創造を生む力//ケン・コシエンダ】(1.0/3)99%の努力とは

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2月を迎えて井戸の底。普段は小説を書いてます。趣味は映画鑑賞とボードゲームと飲酒です。最近、YouTubeを始めました。

たったふたつの「ユーレカ」

 筆者のケン・コシエンダは15年以上に渡ってソフトウェアエンジニア兼デザイナーとしてAppleに勤務し、safariやiPhoneに搭載されるキーボードなどを開発した人である。
 彼がAppleに勤務している間、ユーレカの瞬間を体験したのはたった2回だけだと言う。その2つのユーレカを軸に本書を紹介しながら、Apple流の「創造を生む力」とは何なのかを書いていく予定である。そして、それを各々の「創造性」にいかに転用するかも書きたい。つまり、これから書く記事は、大なり小なり何らかの形で「創作」「創造」に関わる人間に宛てたニュアンスを強調するものである。

 本記事では、ひとつめのユーレカである「ブラウザーの開発」に焦点を絞って書く予定である。

リンゴをたたえよ!

モノリスとの遭遇

 舞台は2000年代前半。ケン・コシエンダ達はMac用のブラウザーを開発しようとしていた。アンテナがない折り畳み携帯電話がまだ珍しかった頃の話である。

いわゆる「ケータイ」

「コンカラー」のコードの一部をMacで動かすには、特に注意してプログラミングする必要がありそうだ。そこで、ミスが発生しそうなソースコードに注釈を付けることにした。そうすれば、後でその場所に戻って直せるというわけだ。
プログラマーはよくこうした注釈を使う。私たちが使ったのは、「FIXME(要修正)」という言葉だ。
(中略)
残されたそれぞれのFIXMEが、プログラミングにおける「やるべき内容」の項目となったのだ。

 コンカラーとは、safari開発の土台になったオープンソースブラウザである。Mac用ブラウザーの開発というプロジェクトは、元々ケン・コシエンダと彼のボスであるドン、この2人だけで始まったものだった。そのため、ケン・コシエンダは1からブラウザーを作るのではなく、ネット上でコードが公開されていた「コンカラー」というブラウザーを修正、改良してMac用ブラウザーを作ることにしたのだ。

 ブラウザーの開発。
 そこにどのような技術的困難があるか、それをどのようにして彼らが乗り越えたのか、具体的な経緯の紹介は本書に譲るとして、このFIXMEを削除する(=問題箇所の修正をする)という作業を筆者はひたすら繰り返し続けた。来る日も来る日もFIXMEを潰していく作業を続けた。それが3ヶ月続いた。そして、ある日のことである。

私はURLを入力した。http://www.yahoo.com。
ブラウザーはクラッシュしなかった。数秒後、ブラウザーに変化が起きた。見飽きた白い画面に、なんだか分からないが”黒い四角形”が現れたのだ。
(中略)
私たちは歓声を上げ、叫び、お互いの背中を叩いた。私たちは四角形を指さして、飛びはねて喜んだ。もう一度ページを読み込んだ。また動いた……また黒いモノリスが出た! 本物だ!

 画像も文章も読み込めず、ただ黒い四角形が現れただけだが、それはつまり「ネット上に存在するデータをパソコン上に表示させた」ということであり、この瞬間にまさにブラウザーが産声を上げたのである。

進歩の兆しもないまま何週間も耐える日々は終わった。
いったんウェブサイトが読み込まれるようになると、ブラウザーは毎日のように目に見えて改善されていった。週末までには、黒い四角形がヤフーのホームページ全文に変わった。

 結末から言おう。これが、筆者の言う「ひとつめのユーレカ」である。
 進歩の兆しもないまま何週間も耐える日々の果てにやっとそれらしい成果が現れたら、嬉しいことには変わりない。しかし、モノリスと呼べば聞こえはいいものの、実際はデータが正常に読み込まれず黒い四角形が表示されただけだ。そこに至るプロセスとて、何か劇的なインスピレーションによる飛躍があった訳ではなく、3ヶ月間単調な作業をひたすら繰り返していただけである。それがなぜ、筆者をして「ユーレカ」と言わしめたのか。それについて語るには、「発明とは1%のひらめきと、99%の努力である」という格言を遺したエジソンについて言及しなければならない。

モノリス(2001年宇宙の旅)
300万年前にヒトザルがこのモノリスに触れたことによって、
彼らは道具を使う知能を手に入れ、ヒトへと進化した。

99%の努力
≒試行錯誤

インスピレーションは、勤勉さなしでは報われない

 筆者はブラウザーの開発についてエジソンの電球の発明と関連付けさせ、「少し学べることがあることに気づく」と書いている。

エジソンとそのチームは進んで汗をかくが、かけた時間で何をするかも分かっている。「試行錯誤」だ。電球においてはフィラメントが鍵であり、最適な素材は竹だったので、エジソンはあらゆる種類の竹を試して、中でも最高の竹を求めた。バーンズの話を信じるなら、エジソンは世界にある1200種類の竹すべてを試したことになる。

エジソンは「最適な竹」だけを求め、大量の品種をチェックする必要が生じてもくじけなかった。テストしたひとつひとつの品種が、エジソンからリストから消した項目であり、最適な品種を発見するための一歩だったのだ。

 何かを創りたい。
 何かを成し遂げたい。
 そういう気持ちが目指すべきなのはたった一つ、「最高のもの」である。その結果が100万人に見向きもされないものだったとしても、自分1人が文句なく最高だと思えるものが創れれば、それに費やした時間も、それと共に生きる人生も必ず有意義なものになる。それだけじゃない。自分一人が掛け値なしに最高だと思えるものは、この世界のどこかにいる「ひとり」にも必ず突き刺さる。これからの時代で本当に強いコンテンツとは、100万人のために歌われたラブソングよりも、たった一人が熱狂する歌だと思う。なぜなら、サブスクでいくらでもコンテンツを消費できる中、それでもお金を払いたいと思ってもらえるのは、そういう「強烈に刺さったコンテンツ」だし、ネットを介して拡散していくのもまた、誰か一人が強烈に好きと言ってくれるコンテンツだからである。
 では、その「最高のもの」を創るには、成し遂げるにはどうすればいいか。着実に「最高」に寄せていくにはどうすればいいか。
 ケン・コシエンダの書いた答えはたった一つ。試行錯誤である。

 あれこれ頭をひねりながらうんうん唸っている時間は、確かに時として飛躍的なアイデアをもたらすこともある。それによって成果物のクオリティを上げるやり方も間違っている訳ではない。事実、僕もそうしてきた。ただ、それはあくまで偶然の産物である。もしも都合よくアイデアが浮かばなかったら、その時間が長く続いたら、それは時間の損失だ。創作に時間の損失はつきものであるが、うんうん唸るだけで終わってしまった時間も有意義で確実な進捗に充てることができたら、最終的な成果物のクオリティはもっと高くなる。もっと「最高」に近い状態にできる。

 有意義で確実な進捗、その方法が「試行錯誤」なのである。
 Aを試してみる。Bを試してみる。Cを試してみる。その結果を比較した結果、どうもBの方が良い気がする。そしたら、次はDとEとFを試す。その結果を、またBと比較する。そうやって、あらゆるパターンを試行錯誤し、リストから項目を消していく。この方法に「うんうん唸る時間」はない。だから、少しずつでもクオリティは進捗する。そしてリストから全ての項目が消えた後、最終的に残るのは「ベストな選択肢」である。こうしてあなたは「最高」を創り、成し遂げることができる。

発明王エジソン

インスピレーションは、勤勉さなしでは報われない。

 あなたの脳に閃いたインスピレーションを実際に形にし、のみならず自分が手放しで賞賛できる「最高のもの」として生み出すには、リストから項目全てを消す勤勉さ(=たゆまぬ試行錯誤)が必要なのだ。

 筆者が、黒い四角形に「ユーレカ」を感じられたのは「1%のひらめきと99%の努力」を実際に体験し、モノリスとの邂逅に「発明」という神秘的なニュアンスを感じ取ったからだろう。

創作に転用

 そして重要な点は、試行錯誤は何も発明やブラウザー開発の成敗特許ではないという事実である。イラストも、小説も、作曲も、およそ創造と呼べる全ての分野において、試行錯誤は有用であると僕は考えている。例えば小説。シーンとは常に「何かの意図」を演出するために存在する。「何かの意図」が目的だとして、それを最も合理的かつドラマチックに演出するための手段を、試行錯誤するのである。主人公がどんな表情をしたら良いか。そこに到るまでにどんな伏線を配したらいいか。居合わせた脇役がどのようなリアクションをしたらいいか。その最適解を、試行錯誤によって模索する。主人公が思い詰めた表情をするパターンをAとし、涙をこらえながら微かに震えるパターンをBとし、強がって笑うパターンをCとする。AとBとCで実際にシーンを作ってみて、それを誰かに読んで意見を聞くも良し。少し時間をおいて自分で読み返し比較検討するも良し。それが、試行錯誤である。イラストにおける色使いや構図も、作曲における音作りや曲の構成も、試行錯誤で最適解を模索するのだ。そうすれば、漠然とセンスに頼るよりも、より着実に「最高」が目指せる。

 だから、勤勉な試行錯誤あるのみだ。

 しかし、ここに一つ注意点がある。

プロジェクトを適切に定義する

 仮にあなたがこれから試行錯誤していくリストを作るとして、そこに列挙される項目は果たして本当に必要なものだけだろうか。先ほど「あらゆるパターンを試行錯誤し」と書いたが、本当に「あらゆるパターン」を試すと、それにかかる時間と労力は天文学的な分量になる。そうやってライフワークを少しずつ進めていくっていうのもクールだと思う。(コストセンターとライフワークに関する話はいずれ書きます)

 しかし、できるなら若いうちに、一つと言わず複数「最高のもの」を作りたい。僕はそういう妄想をしている。ヘンリー・ダーガーみたいに、死後に偶然見つかった創作物が一部の人たちに熱狂的に支持されたとしても、それを喜ぶあなたは既にこの世にいない。

ヘンリー・ダーガー//非現実の王国で
興味がある方は是非ぐぐってみてください。きっと圧倒されると思います。これはこれで芸術の一つの在り方ですね。

僕は、できれば生きている間に喜びたいと思っている。それによって得た日銭で仕事から解放され、より創造に特化した生活を送ることでしか書けない何かを書きたいと思っている。だとしたら、割ける時間も労力もある程度現実的な数字を見積もらなければならない。現実的な数字を見積もった上で、それでも「最高」を目指すには、時間対効果を最大化しないといけない

 そのためには、どうすれば良いか。
 繰り返しになってしまうが、もう一度だけ同じ箇所から引用しよう。

電球においてはフィラメントが鍵であり、最適な素材は竹だったので、エジソンはあらゆる種類の竹を試して、中でも最高の竹を求めた。

 エジソンはフィラメントが鍵になると分かっていたフィラメントの最適な素材は竹だと分かっていた。だからこそ、竹を1200種類試した(あらゆるパターンを試行錯誤した)のである。もしもエジソンがフィラメントこそ鍵だと分かっていなかったら、あるいは竹以外のあらゆる素材にも手を出していたら、もしかしたら全く違う電球ができていたかもしれないが、少なくとも彼が生きている間にそれを完成させることは難しかっただろうと思う。

単純な話に聞こえるし、実際に単純だが、エジソンがプロジェクトを適切に定義しなければ、これほど大規模な試行錯誤はできなかった。

 エジソンは、プロジェクトを適切に定義したからこそ、適切な「あらゆるパターン」を試行錯誤できたのだ。

 地道な努力を積み重ね続ける。
 その前に、必ずプロジェクトを適切に定義しなければいけない。

 どうやって?
 それは、次回へ続きます。

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