【労働2.0//中田敦彦】(1/3)
はじめに
『一つの職種、一つの会社、一つの場所にとらわれないこと。
「労働2.0」中田敦彦
一つの場に「雇われる」だけでなく、「雇う」視点も取り入れ、随時変化と進化をしながら「やりたいこと」を実現させて、食べていくこと。
そんな新時代の働き方を、私は「労働2.0」と名付けたいと思います。』
損してる人
本書にて「労働1.0」という単語は出てこないが、敢えてそれを定義するなら上を実現できていない状態、すなわち、
「一つの場所にとらわれて、雇われる視点しかなく、変化も進化もせず、やりたいことはできないけど、とりあえず食べていける働き方」
と言える。身も蓋もない文句である。だが、社会に出たのち僕が出会ったのは、身も蓋もない文句がそのまま名刺にプリントされてそうな人間ばかりだった。僕の運が悪かったのだろうか。いや、この際「1.0」と「2.0」の正確な比率なんてどうでもいい。文章とは常に、それを書く人間とそれを読む人間の一対一の対話だ。あなたが「1.0」なら、この記事を参考程度に読んでみるのも良いだろうし、あなたが「2.0」を自認する人間なら、この記事は読み飛ばしても構わない。
なぜ僕が自分の小説を書く時間を削ってまで何度も読み返し、デートの回数を削ってまでこの記事を買いているのか。その理由は、いずれ分かるかもしれない。
精神的に向上心のない者はばかだ。
僕が好きな台詞の一つである。恋に思い悩む青年に対する、さりげなさを装いながらも力をこめた肘打ちの如き言葉だが、なぜか僕の数少ない友人の内の一人にやたらこのフレーズを好き好んで使う者がいる。彼がこのフレーズを使いたくなる気持ちも分かる。だけど、僕は精神的に向上心のない人間を馬鹿だとは思わない。それも生き方の一つだ。だけど、損だとは思う。
だから改めて僕はこう言おう。
精神的に向上心のない者は損だ。
なぜ損か。
簡単だ。時代は令和、できる生き方は多様化しているのに、そこに到達しようとしない(=精神的に向上心を持ち合わせていない)で、労働1.0に身をやつしているからだ。すなわち、「やりたいこと」を我慢して、1日に8時間も9時間も、あるいはそれ以上の時間を「やりたくないこと」に費やしているからだ。そんな生き方は損だと、小学生でも分かる。いや、小学生だからこそ分かるとも言える。彼らは「やりたいこと」しかしない。
やりたいことを、やりたいだけやる生き方があってもいい。
第一、そっちのほうが絶対に楽しい。でも、きっと彼はこう言うだろう。
世の中、そんなに甘くない。
僕が大嫌いな台詞の一つである。
そもそも彼は「世の中」を語れるほど世の中に精通しているのか。ましてや時代は令和だ。彼の知らない働き方、生き方なんてこれからどんどん増えていくはずなのに、彼はいつだって世の中を知り尽くして疲弊した者の如くいろいろ話しかけてくる。
あるいは、
やりたいことだけやってたら、食べていけない。
やりたいことで食べていけるだけの才能なんてない。
などと言うかもしれないが、それらも唾棄すべき思い込みである。
ドヤ顔
ところが、今の僕は真顔である。
それは多分、いろいろ読んだ本の影響だと思う。
その内の一冊が、この「労働2.0」という本だった。
この本が、今の僕の価値観の中枢という訳ではないけど、ほとんどの人間にとって馴染み深いであろう「労働」をクローズアップしていたから、記念すべき一発目の記事としてこの本を選んだ。
次の記事から、内容の具体的な説明に入っていこうと思う。