【洞察力//宮本慎也】(1/4)主役になるには
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準備のスポーツ
実を言うと、
本書を手に取ったとき、僕は宮本慎也という人のことを1ミリも知らなかった。「洞察」という言葉に惹かれて本書を買ったのだが、表紙に書いてある肩書きを見て初めて「なんか野球の人なんだな」と知った。そもそも野球に対して僕が持っている知識は「地面にバウンドさせずにボールをキャッチできたらアウト」という程度である。
だが、幸いなことに僕の友人たまごせんし氏は元野球少年だ。今でも時々野球の動画を見たりしているらしい。早速彼に「宮本慎也って何者?」と聞いたところ、一言「すごい人だよ」と返ってきた。なるほど、すごい人なんだな。
その後、たまごせんしとSlackで野球トークをしているうちに、面白い言葉を聞くことができたので、そのままコピペする。
『奥深いよー
本当に準備のスポーツっていうし。
よく言われたけど自分が何で勝負して生き残るか理解して実行しろって言われてた』
自分が何で勝負して生き残るか理解して実行しろ。
たまごせんしは何気なくそう言ったのかもしれないが、それは本書にも通底する重要なテーマだった。
脇役が主役になるために
本書を読み進める内に、宮本慎也という選手がどういう人間なのか、なんとなく浮かび上がってくるような気がした。彼は間違いなく一流の選手だし、間違いなく一流の指導者だ。それでも彼自身が自分のことを「脇役」と言っているのは、僕でも名前を知っているような「天才達」を「プロ野球界の主役」と設定しているためだろう。
しかし、主役と言う言葉をもう少しだけ広いニュアンスで解釈すれば、「バケモノみたいな天才」でなくても主役になることはできる。
脇役だった私が長く現役を続けられたのは、相手を知り、自分を知ることに徹したからである。少しでも情報を得ようと、洞察することに努めてきたからともいえる。
チームに貢献できなかったらすぐに戦力外通告がされるような熾烈な実力主義社会において、「長く現役を続けた」という事実は、プロ野球の外側にいる僕からしたら、十分すぎるほど「主役」である。ということは「相手を知り、自分を知り、少しでも情報を得ようと、洞察すること」ができれば、少しは主役には近づけるらしい。
なぜ少しでも情報を集めるべきなのか。
それは「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」だからである。百戦殆うからずだったからこそ、宮本慎也は脇役(=突出した天才でない人たち)でありながら、長く現役を続けられた(主役で居続けた)のだ。
そして、情報を集めるには洞察が必要だ、と筆者は書いている。
さて、「洞察」という言葉の意味をGoogleで調べてみよう。曰く、
『(物事の本質を)見通すこと。見抜くこと。』
とある。
すなわち「洞察力」とは「対象を常に冷静な視点で見詰め、その本質を見抜く力」だと言える。
本書を読む前から「洞察力」という単語を使っていた訳ではないが、考えてみるとこの「洞察力」とは非常に素晴らしい能力のように思えてならない。
それについて、書いていく。
情報化社会で、情報を洞察するメリット
僕たちは情報に溺れている。
何かしらの思惑で飾り付けられた広告の類や、直近であなたにとって無益なニュースの数々、あるいはおよそコンテンツと呼べる全ての情報が手ぐすねを引いている。こうして僕たちは四六時中無数の情報に晒されている訳だが、そこに並ぶ情報の質は文字通り玉石混淆である。受け身のままブロイラーのように情報を飲み込んでいるだけだと、あなたのストレージは表面的であまり意味のないデータでパツパツになる。さりとて全ての情報を網羅的に収集し、精査するのは非効率的だし、そもそも時間が足りない。
そこで、洞察するのである。
僕が考えたメリットは3つ。
①時間の節約
何かしらの情報に触れたとき、即座にその本質を見抜くことができれば、その情報が自分にとって有益なのか、後々必要になってくるものなのか、あるいは全くの無益なのかが判別できる。無益な情報に割いていた時間を、有益な情報の考察に回せれば、いろいろ捗りますな。
②食い物にされない
本質とは、その情報のコアとなる意味のことである。
誰かに何かを伝えるとき、本来は「コアとなる意味」がストレートに伝わることが望ましい。だが、恋人たちが「I love you」の代わりに「月が綺麗だね」みたいなことを囁き合うように、
あるいは「俺の養分になれ」の代わりに「一ヶ月で30万円稼げる副業のノウハウを特別にあなたに教えてあげます!」と笑顔の写真を載せたりするように、人は様々な事情から「コアとなる意味」を巧妙に隠したりする。
そこで「わー、ほんとだ。月が綺麗だね。私より月が好きなんだね」となったり「よっしゃ、俺も30万稼ぐぞ!」となったりするのは、損である。本質が見抜けなければ、食い違ったり食い物にされたりする。
③個性の発生
情報(コンテンツ)を眺めたとき、漫然と表面的なテクスチャを満喫しているだけでは、よろしくない。同じものを見て、同じ事を考えてしまう人間たち同士に差分(=個性)は生まれないからである。そこにいるのは代替可能なモブで、つまり脇役である。
しかし、仮に同じものを見たとして、その人にしか発見、抽出できないような本質を洞察できる人間は代替困難である。あなたにしか分からない本質、あなたにしか見えない世界、それは個性である。個性がある以上、モブではない。すなわち主役である。
実生活で、洞察を意識する
無論、洞察の対象となるのはあなたを取り巻く情報だけではない。
自分を取り巻く実生活や、自分自身も対象として洞察するべきだと僕は思う。
・今自分が置かれている状況の本質とは何か。
・自分の本質とは何か。
それらが分かれば、その本質を阻害する要素も自ずから浮かび上がってくるはずだ。
そうして浮かび上がったものが、つまり直近で解決するべき課題である。
では、その課題をいかにして解決するか。どのように取り組めばいいか。そういった作戦を組みたてるときも、その作戦自体に洞察を適用する。大事なもの(本質)が分かれば、最短距離で課題の解決が目指せる。
くどいくらい「洞察」という単語を繰り返したが「物事を本質を見抜く」という能力(すなわち洞察力)はそれくらい大事だと僕は思っている。本質が分かれば、取捨選択ができるのだ。
さて、
直近で解決するべき課題が浮かび上がった。
課題を解決するための作戦も分かってきた。
あとはどうするか。
という訳で、話はたまごせんしに戻る。
「自分が何で勝負して生き残るか理解して実行する」
ここで言う「理解」が洞察にあたる。
とすると、次にするべきは「実行」である。
本書においても、宮本慎也は「実行」の重要性を「詰まるところ、練習あるのみ」という論調で何度も強調している。
本記事の前半で、僕は「相手を知り、自分を知り、少しでも情報を得ようと、洞察することができれば、少しは主役には近づけるらしい。」と書いた。洞察で近づいたら、後は実行するだけなのだ。洞察で常に「最適な実行の方法」を更新し続けながら、実際に「実行」を積み重ねた人間だけが、主役になれる。きっと、そういうことなのだろう。
さて。不意に「本の紹介ができてないじゃないか」という事実に気付いた僕だった。
という訳で、次の記事では本書の内容を紹介しながら考えたことなどを書いていこうと思う。