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【Creative Selection, Apple 創造を生む力//ケン・コシエンダ】(2.1/3)「テイスト」の定義

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2月を迎えて井戸の底。普段は小説を書いてます。趣味は映画鑑賞とボードゲームと飲酒です。最近、YouTubeを始めました。

テイスト(感性)の定義

 テイスト、感性という言葉は「ふわっとしたニュアンス」で解釈されることが多いが、筆者はそれをズバリ「見る目を養う」「魅力的でありながらまとまりのあるものをつくる」「バランスを見つける」という3つの要素で説明した。その3つの要素がそれぞれどういうものなのかを、紹介していきたいと思う。

見る目を養う

私は完熟のイチゴが好きだが、この自分の好みについて、「甘いのがたまらない」以上の感想はあまり言えない。
「具体的思考が足りない」というのは、朝食のシリアルに載せる果物を選ぶときにはたいして問題にはならないが、クリエイティブな仕事では一大事だ。
理由をつけずに選んでばかりいると、クリエイティブな取り組む全体が目標を失って迷走するおそれがある。「優柔不断の積み重ね」になってしまうかもしれないのだ。
この落とし穴を避けるための判断力を磨くうえで最も重要なのが、「分析を重ねた好み」だ。これは、積極的に評価を行って、感覚的な意見を、自信をもって正当化できるようにすることを言う。

 あなたも、媒体を問わずに尋ねれば、きっと「じーん」という感覚を味わったことがあると思う。
 例えば、読み進めていくうちに「これは、、!」と内心唸り、読後になんとも言えない放心状態に陥った経験や、何気なく散歩しながらイヤホンで聞いていた音楽が不意に景色の美しさと相まって鳥肌がたった瞬間。美術館で、作者のことも美術にまつわる歴史もそこに盛り込まれた技法の数々も知らないのに、なぜかその絵画の前をなかなか離れずに見入ってしまったり、映画で喜怒哀楽のどれともつかずに涙を流したり。それらが全て僕の言う「じーん」である。

 この「じーん」は、いわばあなたの感覚の根っこに根差した「好み」である。
 この好みに「分析を重ねる」と筆者は書いている。好みに分析を重ねればこそ、QWERTYが良いとか、ここは青色のグラデーションが良いとか、そういった感覚的なことを、自信をもって正当化できるようになるのだ。

 別に猟奇的な趣味などはないが、僕は漫画等で「主人公の腕が切り落とされる」シーンが好きだ。だから、とりあえず自分の小説でも主人公の腕を切り落としてみよう、と考えたとする。これは、先の引用になぞらえるなら「優柔不断の積み重ね」に他ならない(現時点ではまだ積み重なっていないが、そうやって「なんとなく好きなシーンでプロットを構築していけば、それは紛れもなく「優柔不断の積み重ね」である)。ここで、好みを分析するのである。実際、これを書きながら軽く分析してみたのだが、要は僕は「主人公の腕が切り落とされる」という残虐性に「じーん」としていた訳ではなく、「主人公」「主役」という物語の中心を担うべき存在が、「腕」というすごく大事なものを不可逆的に喪失し、物語に積極的に介入する権利も力も方法もなくしてしまう、という衝撃的な矛盾性に「じーん」ときていたのだ。ということは、多分僕はガンダムが大破する瞬間にも「じーん」とくることだろう。

屈指の名場面

 このように、自分が「これ好き!」と感じた対象に分析を重ねることで、その原理を客観視することができる。僕は「エイリアン:コヴェナント」が大好きで、もう何十回も見ているのだが、それによって「創造性を追求すると、余人にはそれが狂気に見える」ということが分かった。そして、それは今書いている小説のかなり重要なテーマになっている。今後は意識して、僕が「大好き!」と感じる作品を「なぜ好きなのか」と分析しようと思った。

 そして、そうやって分析を重ねていくと、より普遍的な原理が見えてくるだろう。そういった「自分の好みの原理」が基準として生まれれば、今後あなたが触れる作品もその基準と比較しながら鑑賞することができるようになる。それによって既に生まれた基準を微調整するのか、あるいは新しい基準を見つける足がかりにするのか。それはケースバイケースだが、それが「見る目を養う」ということだろう。

バランスを発見する

バランスを見つけることで、テイストに関する他の定義、すなわち「分析を重ねた好み」と「魅力的でありながらまとまりのあるもの」がつながる場合がある

 バランスとは、例えば何かを決めるとき、両極端なAとBの判断を一本の軸で結び、どれだけAに近付くべきか、どれだけBに近付くべきか、その判断を適切に選ぶことである。コーヒーを例にとるなら、Aが何もいれないブラックコーヒーとし、Bを砂糖を溶いたミルクとしたとき、どのくらいコーヒーに砂糖とミルクを入れれば自分の好みになるのか。砂糖はスティックであれば1本なのか、2本なのか、半分なのか。そういった判断が、バランスである。なぜバランスが大事なのか。

細かい判断が大きなシステムに組み込まれると、それぞれの判断は独立したものではなくなる。小さな判断が集まって、大きなイメージになる。
このように考えると、デザイナーの責任は、数多くの「分析を重ねた好み」と、「魅力的でありながらまとまりのあるもの」を作る試みのバランスを取るところにまで広がるといえる。

 ここで言う「細かい判断」とは、先の例で言うなら「主人公の腕が切り落とされる」である。「大きなシステム」とは、作品全体にあたる。分析を重ねた好みで「細かい判断」を収集し、それを調和させながら、ひとつの「魅力的でまとまりのあるもの(≒大きなシステム、イメージ。後述)」を作るためには、バランスが必要なのである。延々、主人公の四肢が切られ続けたり、ガンダムが大破し続ける作品は、奇抜かもしれないが、少なくとも「魅力的でありながらまとまりのあるもの」とは言えないだろう。

バランスが大事

魅力的でありながらまとまりのあるもの

 魅力的でありながらまとまりのあるもの。
 まとまりのあるものとは、それを構成する要素が調和していることである。先の話に照らし合わせるなら、分析を重ねた好みによる「細かい判断」が、バランスによって「1つの大きなイメージ」を形作っている状態のことである。

 では、どうすればそれが「魅力的」になるのか。
 筆者は「私がいちばん好きなスティーブの言葉だ」と書いた上で、ジョブズの言葉を引用している。そして、その言葉は更に「まとまりのあるもの」にもある程度関連してくる。その言葉がすなわち(アップルの)「魅力的」の本質だと僕は思った。 

ジョブズのアンサー

 まず、2003年に「ニューヨーク・タイムズ」が行ったipodに関するインタビューへのジョブズの言葉を引用し、それから次に筆者の言葉を引用しよう。

ほとんどの人は、「デザインはそれ(製品)がどう見えるかだ」と思う過ちを犯している。人々はデザインはうわべのつくりものだと思っていて、デザイナーは箱を渡されて「見栄えをよくしろ」と言われていると思っている。
私たちが考えるデザインはそういうものではない。デザインとは、どう見えるか、どう感じられるかではない。どう機能するかだ。

 

スティーブのメッセージは明確で、私も賛成だ。
製品における底の浅い美は、人々の役には立たない。製品デザインでは、製品がどう見えるか、どう感じられるかだけではなく、どう機能するかに根差す美を求めなければならない。
形は、機能に従うべきだ。ものは、自分自身を説明するべきなのだ。
(中略)
機能するデザインを作ろうとすれば、それが「分析を重ねた好み」に反映され、「魅力的でありながらまとまりのあるもの」を目指して「バランスをとる」というサイクルが自然とできあがる。

 これが、「魅力的でありながらまとまりのあるもの」の正体であり、今まで書いてきた3つの要素の混成体がテイストの正体であり、ここに共感力が融合した結果が、ふたつめのユーレカをユーレカたらしめた原理なのである。

「魅力的でありながらまとまりのあるもの」を創るには

 芸術に詳しくない僕であるが、それでも「考えるんじゃない、感じるものだ」というジャンルの作品が存在することは知っている。
 確かに、機能や実用性から離れ去ることで成立する表現の技法もあるかもしれない。
 だけど僕は、(いずれ「感情の正体とは」というテーマで記事を作りそこで詳しく書こうと思っているが)そういう「Don’t think, Feel」な表現は、当人にとってのThinkの底が見えるまで考え続けた人間だけが、その先に行くために手を出す領域だと思っている。(無論、抗いきれない初期衝動のままにFeelして作品を作ろうとしている方を否定する意図はない。考えることを安易に軽視し否定する姿勢こそを否定したいだけである)

 だからこそ、魅力的でありながらまとまりのあるもの(≒ひとつの作品)を作るためには、

自分にとっての「好き!」を分析し、「個」を創り上げる

その「個」の集合である「作品」自体が、どのような機能(演出効果等)を持つかを常に意識する

バランスで、個と個を調和させる

 このプロセスに他ならない。そして、このプロセスこそが、テイストなのだと僕は考えている。
 ここで言う「機能」とは、それを読んだり眺めたり聞いたりする人間に、どういうフィーリングを与えたいか、どういうテーマを考えさせたいか、に該当する。クトゥルフ神話で知られるラブクラフトも、小説における全ての言及は最終的な本旨と調和していないといけない、と書き残していた。ここでいう「本旨」が「機能」である。ラブクラフトの場合は、語弊を恐れず言うならホラー小説であり、彼の緻密な描写は全て「読者に不安定な気持ちを抱かせる、底知れない恐怖を伺わせる」という機能のためにデザインされているのである。

 これを読んでいるあなたが小説を書く人間なのか、イラストを描く人間なのか、曲を作る人間なのか、それ以外の何かを想像しようとしている人間なのか、それらをしたいと願う人間なのか、あるいは現在直面している課題で「創造的な解決策」を求めている人間なのかは分からない。ただ、デザイン(あるいは解決策)とは機能のことであり、それが本旨であり、そのためには共感力とテイスト(感性)が重要である、ということである。

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2月を迎えて井戸の底。普段は小説を書いてます。趣味は映画鑑賞とボードゲームと飲酒です。最近、YouTubeを始めました。

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